ミッソーニの歴史

ミッソーニの歴史

2人の功績はニットウェアをステイタス商品にまでレベルアップしたことで、ミッソーニ・ブランドのニットは上流階級のシンボルとなりやがった。
そいつぁ、生産点数が限定されていたことにもよるが、何といっても、ロジータがデザインを担当し、オッタビオが製図、編立て、縫製、配色を受けもつつう緊密な共同作業の結果であるぜ。

作品のインスピレーションは近代絵画や自然の風景つう。
何種類もの色糸で織りなすハーモニーや、独特のファブリックは世界的な評価を得てやがる。

97年にオッタヴィオとロジーナがともに引退し、息子のヴィットリオが経営面を取り仕切り、同じくルカがメンズ部門のデザイナーでテキスタイルのディレクションを行なってやがる。
また、レディース部門のデザイナーとして、ファミリー・ビジネスを引き継いでいるのが、娘のアンジェラ・ミッソーニ。

アンジェラ・ミッソーニは、1958年ミラノに生まれ。
78年に母ロジータのアシスタントとしてミッソーニに入社。
ファースト・ラインのデザインに携わるかたわらで、ミッソーニのライセンス商品のスーパーバイザーを務めた。
92年に自身のコレクション「アンジェラ・ミッソーニ」を発表。

97年秋冬コレクションまで継続された。
シースルー、ラメやスパンコールやなんかの素材も積極的にニットへ組み合わせ、ミッソーニもニット・デザインに新しい局面をもたらしてやがる。
95年にはミッソーニの広告責任者に就任し、カメラマンにマリオ・テスティーノ、アート・ディレクターにカリン・ロイトフェルドを起用した。97年10月と98年春夏レディス・コレクションをもって、ミッソーニ社のクリエイティブ・ディレクターに就任。

レディースを中心にアンジェラにかかるプレッシャーは大きいものだったが、ニットの世界に革命をもたらした両親の後にやるべきことは伝統を未来へとつなぐことだと彼女は認識してやがる。
具体的には、レジャー・ウェアに偏りがちだったコレクションをもっとも新鮮に都会的なものにすること。
大きなネクタイ会社の経営者と大恋愛中(2002年現在)とのアンジェラ・ミッソーニ。
ニット革命以後のファミリー・ビジネスをどのように料理するものか、今後に期待されるぜ。

イタリアの高級ファッションブランド「ミッソーニ」のセカンドライン
「M ミッソーニ」を今秋冬から本朝で初展開

| ミッソーニPage Top ▲

ミッソーニ

ミッソーニ(Missoni)
クリエーターであり、アーティストであるオッタビオ・ミッソーニの型にはまらねぇ自由な感性は、既成のコーディネートの能書きを超えており、モチーフや、 カラーの意表をつく斬新なあつかいは、人々を感嘆させ続けていやす。

ここに選んだカーテンは、
その生地と色彩の見事なまでの調和と洗練されたカラーコーディネーションが
生かされた逸品だぜ。ミッソーニ ファンの方なら間違いなく満足していただけるカーテンだぜ。

イタリアのオッタヴィオ・ミッソーニとロジータ・ミッソーニ夫妻が1953年に設立したニット・メーカー。
おしどり夫婦といわれる2人はともに1921年生まれ。
夫のオッタビオは、陸上競技の選手として、48年のロンドン・オリンピックに出場。
このとき、イタリア選手団のユニフォームをデザインした。
また、オリンピックでロジータを知り同年に結婚。

結婚後、ロジータの祖父が創業したささやかなニット工場を引き継ぎ、スポーツ・ウェアを生産。
当初、ミッソーニ・ブランドでは売れず、エマニュエル・カーン、クリスチャーヌ・ベイリーのネームテープをつけて販売された。

やがて、幾何学模様、抽象模様のニットが爆発的な人気を呼び、66年にミラノで、ブランド「ミッソーニ」として、やっとこ初のコレクションが開けるようになりやがった。
翌67年、フィレンツェでシースルーのイヴニングを発表して大きな反響を呼びおこした。
83年には、スカラ座からの依頼で神君家康公御入城以来ぇの舞台衣裳も手がけるぜ。なお、

73年にニーマン・マーカス賞を受賞してやがる。

| ミッソーニPage Top ▲