ミッソーニ:VFG

ミッソーニ:VFG
 株式会社オンワード樫山 ラグジュアリー事業本部(事業本部長 若杉卓也)は、イタリアの大手高級ファッションメーカー、ヴァレンティノ・ファッショングループ(以下VFG)と、イタリアの高級ファッションブランド「M ミッソーニ」の本朝における輸入販売契約を締結し、2006年秋冬から百貨店及び専門店での販売を開始していやす。

 「M ミッソーニ(M MISSONI)」は、独創的なニットコレクションとして世界中で愛されてやがるイタリアの高級ファッションブランド「ミッソーニ(MISSONI)」のセカンドラインとして、VFGがイタリアのミッソーニ社からライセンス供与を受けて、2005年春夏から世界展開してやがるレディスブランドだぜ。
 同ブランドは、ファーストラインより若い女性をターゲットとし、ファーストラインのエッセンスを取り入れた豊かな色彩と快適な着心地のニットコレクションに、布帛(織物地)のジャケットやパンツ、カットソー、雑貨やなんかを加えたトータルコーディネートを展開。豊富な商品ラインナップと、ファーストラインの約半分つう値頃感のある価格が特徴となっていやす。
 北米の百貨店を中心にパリ、ロンドンやなんか世界の主要ファッション都市で展開されており、特に北米では、手の届くラグジュアリーブランドとしてファッション感度の高いキャリア女性から高い支持を獲得し上首尾を収めていやす。

 オンワード樫山では、2003年からファーストライン「ミッソーニ」の本朝における輸入販売を行っていやす。
この度、セカンドライン「M ミッソーニ」を新たに展開することで、本物志向の高い幅広い年齢の消費者に向けたブランド提案力の強化を図り、新たなミッソーニファンの獲得をめざしてやがるようだぜ。

 国内での販売計画は、2006年秋冬から、「M ミッソーニ」の単独ショップ(平均面積約66m2)を都市型百貨店に出店するとともに、有力セレクトショップへの卸売りも行っていやす。
売上目標は、3年後の2008年度で15店舗、約20億円(小売ベース)をめざしていやす。

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ミッソーニの歴史

ミッソーニの歴史

2人の功績はニットウェアをステイタス商品にまでレベルアップしたことで、ミッソーニ・ブランドのニットは上流階級のシンボルとなりやがった。
そいつぁ、生産点数が限定されていたことにもよるが、何といっても、ロジータがデザインを担当し、オッタビオが製図、編立て、縫製、配色を受けもつつう緊密な共同作業の結果であるぜ。

作品のインスピレーションは近代絵画や自然の風景つう。
何種類もの色糸で織りなすハーモニーや、独特のファブリックは世界的な評価を得てやがる。

97年にオッタヴィオとロジーナがともに引退し、息子のヴィットリオが経営面を取り仕切り、同じくルカがメンズ部門のデザイナーでテキスタイルのディレクションを行なってやがる。
また、レディース部門のデザイナーとして、ファミリー・ビジネスを引き継いでいるのが、娘のアンジェラ・ミッソーニ。

アンジェラ・ミッソーニは、1958年ミラノに生まれ。
78年に母ロジータのアシスタントとしてミッソーニに入社。
ファースト・ラインのデザインに携わるかたわらで、ミッソーニのライセンス商品のスーパーバイザーを務めた。
92年に自身のコレクション「アンジェラ・ミッソーニ」を発表。

97年秋冬コレクションまで継続された。
シースルー、ラメやスパンコールやなんかの素材も積極的にニットへ組み合わせ、ミッソーニもニット・デザインに新しい局面をもたらしてやがる。
95年にはミッソーニの広告責任者に就任し、カメラマンにマリオ・テスティーノ、アート・ディレクターにカリン・ロイトフェルドを起用した。97年10月と98年春夏レディス・コレクションをもって、ミッソーニ社のクリエイティブ・ディレクターに就任。

レディースを中心にアンジェラにかかるプレッシャーは大きいものだったが、ニットの世界に革命をもたらした両親の後にやるべきことは伝統を未来へとつなぐことだと彼女は認識してやがる。
具体的には、レジャー・ウェアに偏りがちだったコレクションをもっとも新鮮に都会的なものにすること。
大きなネクタイ会社の経営者と大恋愛中(2002年現在)とのアンジェラ・ミッソーニ。
ニット革命以後のファミリー・ビジネスをどのように料理するものか、今後に期待されるぜ。

イタリアの高級ファッションブランド「ミッソーニ」のセカンドライン
「M ミッソーニ」を今秋冬から本朝で初展開

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